千と千尋の神隠しのトリビア論争が馬鹿馬鹿し過ぎて。
物語は誰のもの?
あくまで私の思ったことを書くだけです。
11/21(金)の「千と千尋の神隠し」の放映後、twitterでストーリーに関するトリビアを眼にしました。
湯婆婆と従業員の契約を結ぶシーンがありましたよね?
あのシーンで千尋は自分の名前を「荻野千尋」と書いたのですが、そのとき「荻」の火の部分を犬と書いています。
ここでいくつかの説が浮上しています。その中でも割と意見が多かった二つを代表的に挙げてみます。
一つは、ハクに「本当の名前を教えてはダメだ」と言われたため、その言葉を守りわざと間違えた名前を書いた。だから、千尋は名前を完全に忘れることなく、自分の名前を思い出せた、というもの。
もう一つは、あの世界にいることで人は本当の名前を忘れてしまう。だから、千尋はあの時点で本当の名前を忘れてしまっていた。漢字を間違えて書いてしまったのはそのためだ。という説。
この両説には色々な反対意見も飛んでいますね。
ハクの流れは時系列的におかしいじゃないかー!
先の展開を考えたら矛盾してるじゃないかー!
名前を忘れるにしてもピンポイントで漢字を間違えるなんて変じゃないかー!
はっはっは。
呆れるほどどうでもいいですよねコレ。笑
いや、もちろんこういったやりとり、ぶつかり合いや討論は物語の解釈の醍醐味だとは思いますよ。
ただ、明らかにおかしいと思うやりとりが。
それは、ヒートアップした双方の「公式ではこうだったから!」「前に調べたんだからこっちがあってる!」「別にお前が創ったんじゃねーじゃん!」と言った声。
馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しい。
せっかくの物語が台無しだよ。
作品は、アニメは、物語は誰のものか?
そんなの自分のものでいーじゃん、と言いたい!
物語は、自分のもの!
公式が言ってる!とか有名な人の分析がこうだから!とか関係ないと思います。
物語を受け取った人が、「私はこう理解した。思った。感じた。」とするんだったら、その人の中での物語はそれでいいのでは?
確かに創ったのは制作者の方々です。公式が言っているのであれば、「そういう設定だった」のでしょう。でも、ひとたび世に解き放たれた物語は、もう後は受け取る側の自由な解釈でいいんです。
その人の中で、その人の解釈や感情で彩られた、新しい物語でいいと思います。
数学とかの答えじゃないんだから、答えが一つだなんて面白くないじゃないですか。それぞれの楽しみ方で楽しむのが一番じゃないですか。
意見がぶつかり合う討論もまた楽しみの一つです。お互い平行線でも、冷静になって相手の意見をくみ取れば、それもまた面白いと思います。
自分が感じた物語が自分の中で一番のなのであれば、それでいいじゃん。
だから、公式が!とか、設定が!なんてつまんねー答えで人の物語を止めんなよ。
自分の意見が良いと思ったんなら、ぶつかり合いながらでも自分の中で育てていけばいいじゃん。物語とか妄想空想の世界に答えを見つけようとするのはつまんなくね?
物語は、自分のもの!
この記事を読んで色々思った人もいると思いますが、それだって自分のものなんですから、好きに解釈しちゃってくださいな。
こんな駄文でも思うところがあるのなら本望です!